天下に機あり、務(む)あり。
機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。
時務(時務)を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非(あら)ず。
この世の中に生じるできごとに対処するには適切な機会があり、それに応じた務めがある。
適切な機会がわからなければ、時局に応じた務めも知ることが出来ない。
それぞれの場に応じてなすべき仕事ができないようでは、才徳のすぐれた人とはいえないのである。
松陰先生が26歳の時、野山獄で囚人たちとの議論をまとめた「獄舎問答」の中の言葉です。俊傑とは才徳が飛び抜けてすぐれている人のことで、松陰先生はその例として諸葛孔明をあげられています。
士の行(おこない)は質実、欺かざるを以て要と為し、
巧詐(こうさ)、過ちを文(かざ)るを以て恥と為す。
光明正大(こうめいせいだい)、皆是れより出づ。
人の行いは誠実で、自分の心に嘘をつかないことが大切である。
うまくごまかしたり、失敗を取りつくろったりすることを恥とするものである。
これが公明正大の出発点である。
松陰先生が26歳の時、甥の玉木彦介の元服を祝して贈った「士規七則」に出てくる言葉です。
志(こころざし)を立てて以て万事の源と為(な)す。
すべての実践は志を立てることから始まる。
松陰先生が26歳の時、甥の玉木彦介の元服を祝して贈った「士規七則」に出てくる言葉です。士規七則の七ヵ条を「立志・択交・読書」の「三端」としてまとめられており、この言葉は「立志」にあたるものです。
冊子を披繙(ひはん)せば、嘉言(かげん)林の如く、躍々(やくやく)として人に迫る。
書物をひもとけば、心にひびく言葉が林のように連なっており、人の心に生き生きと迫ってくるのである。
松陰先生が26歳の時、甥の玉木彦介の元服を祝して贈った「士規七則」の冒頭に書かれたものです。
今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて人となりにし道を踏めかし
今日からは、親にすがって甘えるような心を振り切り、ひとり立ちした人間になるために、力強く歩んで行きなさい。
松陰先生が26歳の時、甥の玉木彦介の元服を祝して贈った和歌です。成人を迎えた彦介に、大人としての自覚を促しています。
地を離れて人なく、人を離れて事なし、故(ゆえ)に人事を論ぜんと欲せば、先(ま)ず地理を観よ。
人はそれぞれの土地によって育てられ、その土地の暮らしはそこに暮らす人々によってくり広げられる。だから、人間社会の暮らしや出来事を論じようと思えば、まずその地域の状態を念入りに見きわめなければいけない。
松陰先生が25歳の時、伊豆下田で共にペリーの黒船に乗り込んだ金子重輔に対しておっしゃった言葉です。「学問を為す方」を聞く金子に、先生はこの言葉をおっしゃられました。
凡(およ)そ人の子のかしこきもおろかなるもよきもあしきも、大(たい)てい父母のをしへに依(よ)る事なり。
子どもには、賢い子もおろかな子も、またよい子もそうでない子もいるが、それは父や母の育て方によるところが大きいのである。
松陰先生が25歳の時、妹の千代にあてた手紙の中でおっしゃった言葉です。子育てをする妹に対して、親としての自覚を促しています。
仮令(たとい)獄中にありとも敵愾(てきがい)の心一日として忘るべからず。苟(いやしく)も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋(せっさ)怠るべきに非(あら)ず。
たとえ獄にいても、天下の大義をそこなうことについて、いきどおりの心を忘れてはならない。もしも天下の大義に対するいきどおりの心を忘れないのであれば、一日たりとも学問を怠ってはならない。
松陰先生が25歳の時、牢屋の中から知人の小倉健作にあてた手紙の中でおっしゃった言葉です。獄内での自分の心構えを書かれています。
計愈々(いよいよ)違(たが)ひて志愈々堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん。
計画はたびたび食い違ったが、志はますます堅固になった。天が私に与えた試練であろうから、私は少しも嘆いていない。
先生が25歳の時、ペリーの黒船に乗り込んで海外へ渡る計画を実行しましたが、その前に幾度か渡航に失敗されました。その際の心情を、後に述べられた言葉です。
誠(まこと)の一字、中庸(ちゅうよう)尤(もっと)も明らかに之れを洗発す。謹んで其(そ)の説を考ふるに、三大義あり。一に曰(いわ)く実(じつ)なり。二に曰く一(いつ)なり。三に曰く久(きゅう)なり。
「誠」は『中庸』の中ではっきりと言い尽くされている。「誠」を実現するためには、実(実行)、一(専一)、久(継続)の三つが大切である。
松陰先生が24歳の時、萩藩主毛利敬親への上書の中で、中国古典の『中庸』を引用しながら「誠」をどう実践していくのかを説かれました。